感覚過敏さえ治れば、発達凸凹の人たちは相当生きやすくなります。
そして
感覚過敏が治った人はたくさんいます。
感覚過敏が治って残念がっている人はいません。
感覚過敏を治せる医者はめったにいません。
どうやったら感覚過敏は治るのでしょう?
どうして治る人と治らない人がいるのでしょう?
そして何より
どうやったら治るのでしょう?
そういう疑問に答えた本です。
「感覚過敏は治りますか?」幻のあとがき
まず、想定されるクレームに先んじて対応しておきましょう。
著者の栗本さんが医者ではないのに感覚過敏についてあれこれ語って生意気だ! と息巻き、ろくすっぽ読みもしないでネット書店のレビューに「トンデモだ」と書こうとしているそこの皆さん。
皆さんが感覚過敏を含む一次障害に心ゆくまで対応してくれる医師免許ホルダーに出会っているのなら、私としてもそれを祝福いたします。発達障害者支援法が始まっても治療がほとんど進まず、「治さない医療」が蔓延しているこの状況のなかでそれは、宝くじに当たったようなもんですね。その運の強さをぜひ、生涯保ち、幸せに暮らしてください。そしてできましたらその幸運を、社会の人たちにお裾分けしていただければいいなと思います。
ただ、世の中あなたのように恵まれた人だけではない。苦しくて苦しくて、医者のもとに行けばなんとかなると思って、何ヶ月も、ときには何年もの予約待ちのあげくに訪れた医者のもとで、「一生治りません」「周囲が理解するしか」としか言われずに絶望した人も多いのです。その人たちはこの四年、栗本さんの知見に助けられてきたのです。
それもそうでしょう。医師免許ホルダーは、診断し、「一生治りません」という先駆者の受け売りを告げているだけで生活費を稼げます。一方で栗本さんはどうでしょう。治る方法を編み出していかないと「食いっぱぐれる」のです。「治す以外に、なんの取り柄もないおっさん」なのです。診断するだけで食べていける医師免許ホルダーを信じ、治る方法を探り提案する以外に食べていく方法のない栗本さんを信じない人も多いでしょう。それはこれまでの思考の習慣もありなかなか抜け出せない罠。そこにはまり続けるのは個人の自由ですが、私としてはそれが賢明な選択に思えない。それだけの話です。
そして医師でもない人がこういう本を書いてむかついている当の医療関係者の皆さん。
皆さんはたとえば、不登校の子が親に連れられてきたら顔は見ますか? 子どもの顔すらろくすっぽ見てくれない児童精神科医が多いと嘆く親御さんたちも多いとはいえ、もちろんいい先生もいるはずです。患児の顔くらいは見るよ、という先生も多いことでしょう。でもそのとき、唇の周りが乾燥して切れていることには目が留まりましたか? というか、足裏の状態を見てみましたか? 不登校の子がいるとそこまで目を配ってアドバイスするのが栗本さんなのです。
そしてまた花風社が「治る」という言葉を安易に使いやがってと怒っている支援ギョーカイ関係者の皆さん。
カンカイだとか緩和だとかあげくの果ては完全カンカイだとかの言葉を使わなければいけないというのが皆さんの決まり事になっているとしても、私は支援者ではありませんから皆さんの決まり事の外にいます。そして私は編集者ですから人口に広く膾炙した言葉を使うのが仕事です。何よりもこの四年、「栗本さんの、花風社のおかげで感覚過敏が治りました!」というお声が外ならぬ読者の方々から届けられているのです。よく覚えておいてください。感覚過敏に苦しめられなくなる状態を、普通の日本語では「感覚過敏が治る」と言うのです。編集者の私に向かって普通の日本語を使うのはまかりならん、と主張するのなら、私が納得する理由をどうぞ教えてくださいませ。
そしてエビデンスがない、と息巻いている皆さん。
エビデンスと心中したいのならどうぞご自由に。ただし無理心中は犯罪だということをお忘れなく。それとそれほど検証精神がおありになるのなら、この本に書いてある「自分でできて、金がかからなくて、体力も必要ではない方法」をひとつでも試してから息巻いてみたらどうでしょう。それほどエビデンスが大事なら、まずはご自分の身体で確かめてからでも、インチキ扱いするのは遅くありませんよ。
そしてこの本を心待ちにしてくださっていた皆さん。
感覚過敏、治りたいですよね?
感覚過敏さえどうにかなれば、多少社会性に乏しくても認知が凸凹でも大分生きやすくなるだろう、というのが『自閉っ子、こういう風にできてます!』を作ったときからの私の問題意識でした。今一応それに答えが与えられてほっとしています。
でももちろん、まだまだ感覚過敏が治る方法は出てくるでしょう。治す人も栗本さん以外にも出てくるでしょう。
そしてそれこそが、私の望んでいることなのです。
専門家たちが当事者の生活にはなんの関係もない分類やラベル作りの手を少し休めて、当事者保護者の本当の望みに気づき、治す方向を向いてくれること。
それこそが私の望んでいることなのです。
二〇一八年 春
浅見淳子
第一部 理論編
第一章 感覚過敏とは何か?
感覚過敏が治ることの大切さ
なぜまだ、感覚過敏が治らない人がいるのか?
感覚過敏について新しくわかったたくさんのこと
感覚過敏を治すのは誰か?
感覚は慣れるものではなく、育てるもの
感覚が育つとはどういうことか?
合理的配慮と発達を保障する
感覚過敏の実態を把握しておく
ならば、感覚過敏とはいったい何なのか? 基礎からとらえる
第二章 感覚過敏を治すための五つの切り口
感覚過敏を治す五つの芋づるの端っこ
感覚過敏を治す芋づるの端っこ その1
感覚器官の発達援助
姿勢が維持できないのも感覚器の未発達で説明がつく
胎児のまま生まれてきてしまった?
子どもが自分で治しているのを邪魔しない
過敏の背後に鈍さがある
感覚過敏を治す芋づるの端っこ その2
エネルギー配分への目配り
低緊張の人の身体はどうなっているか?
疲れが偏っていて体力が余っていると余計過敏になる
楽しい活動を増やす
感覚過敏を治す芋づるの端っこ その3
皮膚・泌尿器の状態への目配り→水収支を合わせる
感覚過敏がある人の肌の様子をみてみよう
「汗がかけない」ことと過敏性のつながり
感覚過敏を治す芋づるの端っこ その4
胸の状態への目配り
運動しなくても呼吸器が育つ方法
仕事と休息の繰り返しが呼吸器を育てる
感覚過敏を治す芋づるの端っこ その5
思い込みからの脱出
思い込みを外す 子どもの場合
思い込みを外す 大人の場合
なぜ治る人と治らない人がいたか
第二部 実践編
第一章 感覚を育てるときに気をつけることは四つある
感覚過敏を治すときに気をつけなければいけないこと その1
感覚過敏を治すときに気をつけなければいけないこと その2
感覚過敏を治すときに気をつけなければいけないこと その3
感覚過敏を治すときに気をつけなければいけないこと その4
第二章 聴覚過敏は治りますか?
聴覚と平衡感覚
聴覚過敏と首の関係
首を動かすとは
聴覚過敏と顎関節の関係
聴覚過敏と足裏の関係
足裏を育てるコンディショニング
聴覚過敏と皮膚の関係
聴覚と股関節の関係
一対一対応ではなく感覚を羅針盤にする
聴覚と内くるぶしの関係
聴覚過敏 まとめ
第三章 視覚過敏は治りますか?
聴覚の未発達が視覚過敏をもたらす
視覚過敏には二種類ある
視覚を育てるには
やりやすいほうからやればいい
肩甲骨と視覚
視覚過敏まとめ
第四章 触覚過敏は治りますか?
触覚の未発達
触覚過敏と緊張
触覚過敏と気配
触覚過敏 まとめ
第五章 味覚過敏は治りますか?
味覚過敏の四つの原因
味覚過敏と舌の関係
味覚過敏と歯や口の問題
味覚過敏と内臓
味覚と嗅覚
味覚過敏 まとめ
第六章 嗅覚過敏は治りますか?
嗅覚はどう特殊な感覚なのか?
鼻を育てるためには
発達段階により適切な運動は変わる
第七章 「環境づくり」の本当の意味
成人になったら手遅れか?
環境は主体的に作るもの
「ワクワクすること」の大事さ
感覚過敏が治った人はたくさんいるけど、治した医者はめったにいない理由がわかった
「感覚過敏は治りますか?」幻のあとがきご案内
付録
こういう本を読んできました